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2012.01.12 (Thu)

秀吉が腰かけた石(伊佐市見聞記)

天正15年(1587年)秀吉が鹿児島に入りました。
島津義久・義弘は秀吉と会見し,人質を出して和を乞うている時,大口における新納忠元だけは一人大口城に拠って,しきりに防衛の準備を整え,容易に和議に応じようとしなかった。しかし,義久・義弘の説得により秀吉のところに出頭します。
そして現在の伊佐市大口針持の関白陣で豊臣秀吉と新納忠元が面会しました。このとき秀吉はいたく気に入ったそうです。
翌日,秀吉が羽月園田を通行中に忠元は秀吉のかごを見送っていたところ,秀吉はこれを見て忠元をよびます。平伏している忠元に,自ら陣扇を与え,忠元はこれを受け,近士を通じて扇子のお礼と帰国の平安無事を祈念したそうです。このときにかごを降ろしたところは今も「太閤の腰掛け石」として残ってる。
・・と 大口市郷土誌 上巻(S56年 大口市長大樅利夫 発行)に記されています。

その腰掛け石が次の写真です。
秀吉腰かけ石

ここは伊佐市大口鳥巣の二反田孝男氏の敷地です。
先日 訪ねてみました。幸い二反田氏とお会いして説明していただきました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのときに頂いた説明文を紹介します。
 秀吉の腰掛け石
 天正15年(1587年)曽木天童ケ尾での会見の帰路,園田で送別に出迎えた忠元を見てカゴを止め,陣扇を与えた際に腰掛けたとされる石。天正15年(1587)九州平定のため西下した豊臣秀吉は,同年5月島津義久の降伏により帰途についた。しかし,大口地頭新納忠元は一戦も交えずして,秀吉の軍門にくだることは武士の恥となかなかこれでに応じようとしなかった。再三の島津義弘の厳命によって,心ならずも曽木の天堂ケ尾で秀吉と面接させられることになった。やがて,天堂ケ尾をたって,肥後(熊本)に帰る秀吉を,忠元は送別の礼として園田の路傍に出迎えた。カゴの中からこれを知った秀吉は,カゴを留め近くに招いて陣扇一柄を与えた。これが口伝にいう「秀吉の腰掛け石」で,当時のままの石が,ここある。(大口図書館の資料のようです)


実はこの二反田氏の敷地 ご自身で造成された「水生植物園」があります。
二反田水生植物園
春になると様々な花が咲き やがてトンボ等の楽園となり多くの方が見学あるいは勉強会,さらに写真撮影会に来園されるそうです。

そのときにまた お伺いしたいと思います。


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20:35  |  歴史  |  コメント:(2)

Comment

Re: 【リンク報告】

ありがたいです
ありがとうございます♪
ユーカリ |  2015.01.02(金) 20:36 | URL |  [編集]

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 |  2014.08.24(日) 18:28 |  |  [編集]

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