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2011.10.02 (Sun)

「三方限の史跡探訪」

鹿児島女子短期大学開講科目「We Love 鹿児島!」と南日本リビング新聞社カルチャー倶楽部の共催

 もともと上之園町で生まれ,荒田小学校を卒業された志學館大学の原口教授の少年時代のエピソードから入った「三方限の史跡探訪」講座とても楽しみにしていた。
三方限とは方を切る(限る)の意味で上之園町,高麗町,上荒田を指す。幕末の偉人を排出した場所ということだそうだ。
その講話の中でやはり西郷隆盛の話は出てきた。西郷と月照の入水のことだ。
 安政の大獄中,月照を保護すると幕府ににらまれることを恐れた薩摩藩は,月照の藩外追放を命じ,1858年11月16日,月照,付き添いの平野国臣と西郷隆盛,薩摩藩の足軽・坂口周右衛門,下僕の重助が日向に向けて錦江湾に船を出した。周りが気付かないうちに西郷と月照は海に身を投げた。その音を聞いた平野は直ぐに帆のロープを切り,坂口は舟板を海に投げ,引き上げた。西郷だけが蘇生した。
 西郷が蘇生した理由をいくつか挙げるとまず,①舟を止めたり板を投げなど平野と坂口の行動の早さ。②その夜,満月であり浮き上がった西郷らを発見できたこと。③西郷はまだ31才で月照より15才ほど若く,体力もあった。④火を焚いたりマッサージなどを施し,必死の救命が続いた。
原口泉教授のリアルな説明に改めて,蘇生したことの意義を感じた。
さらに三方限の幕末の話から現代の話,ルーマニアで大河ドラマ「篤姫」が放送されていることやブラジルの地域の単位であるコミュニケはまさに近所の連帯であるなど,多岐にわたり話された。
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