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2011.11.15 (Tue)

鹿児島県の初代知事

みなさんは鹿児島県の初代知事(参事・権令・県令を含む)をご存知ですか。


知人を案内するときに希に南州墓地へ行くことがあります。
「西郷隆盛のお墓がここで,西南戦争の薩軍の戦死者が眠る場所です」
その時々で江戸城無血開城により東京都から送られた大きな常夜燈や当時の県令大山綱良のお墓の紹介も
西郷隆盛1


さて今回は
特に理由はないのですが一人で南州墓地に立ち寄りました。大山綱良のお墓を写真に撮りたかったのです。
大山綱吉正面

桜島を望む


秋空のもと桜島を見渡すところにお墓が並ぶ。
南州墓地から桜島


いつも思うが西郷・大山を含めこんなにも多くの人が死ななければならなかったのか?生きていたらどのようになっていたのか?と。 


改めて大山綱良の生涯について調べてみると,県令になるまでの流れがなんとなくつかめました。


大山綱良(おおやまつなよし)
1825年 鹿児島に生まれる。(西郷1828年生まれ,大久保1830年生まれ)

1862年 寺田屋騒動 公武合体論の島津久光の指示で尊王派を藩邸に同行させようとしたが
   争いとなったが,尊王派の大山巌・西郷従道・篠原国幹・永山弥一郎などの説得に
   成功した。
1863年 薩英戦争の際 薩摩軍の軍賦役(軍司令官)とあるが・・(あんまり出てきません)
1868年(M1)戊辰戦争で、奥羽鎮撫総督府の下参謀となった。
   [奥羽鎮撫総督府の総督、副総督、参謀は公家。下参謀は武家の代表者が2人が任命。
    その一人が大山綱良。総督府の実権は下参謀にあった。]
1869年(M2)明治維新の功労に対して大山綱良には賞典禄800石が授けられた。
   [西郷は藩士の中では最高の2000石。藩主の最高は島津忠義・久光親子の10万石]
   (賞典録=いまでいう功労金または特別ボーナス)
1871年(M4)廃藩置県により鹿児島県となり,このとき参事となった。
1873年(M6)権令となる。
1874年(M7)県令となる。
    [県知事と呼ぶのは,東京・大阪・京都を除き1886年(M19)より]
1874年(M7)西郷隆盛が私学校を設立。大山綱良、桐野利秋,大久保利通も拠出
1877年(M10)西南戦争 薩軍に援助・協力
1877年(M19)西南戦争後に長崎県で処刑された。享年53才
大山綱良説明板
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